【読書日記】「待場の親子論」と「現役官僚の渡英日記」

「待場の親子論」(著者:内田 樹、内田 るん)<中公新書ラクレ

 

 

極上の素材が、間違って調理されてしまった本

 

 そっちじゃない、というのが感想。タイトルからして、編集者は親子の話を主軸にしたかったんだと思う。るんさんは割とそこは忠実に守ろうとしているけど、内田樹さんは意図して曲げた感がある。るんさんの意図通りに進んだら面白かったと思う。武道とか政治の方に話がいってしまった。それならば書簡相手がるんさんである必要がなくなる。

 

 るんさんが、例えば離婚した母に対してどう考えていたのか、内田樹さんの再婚相手に対してどういう感情を抱いたのかとか。父親と娘の微妙な問題に対しての考察を期待してたのだけれど、そこは触れられていない。親子関係に話を合わせて欲しかったんだけど、内田樹さんはそうしたプライベートな話はしたくなかったのだろう。内田樹さんは「両者の話は微妙に食い違ってるよね」と発行インタビューでも、前書きでも言っていたけど、これは確信犯的にずらしたのだと私は思っている。

 

 また、これは本筋からずれるけど、るんさんのフェミニスト活動のくだり。試みの一環として、男性のカラフルな服を安く売るっていう試みが紹介されていた。趣旨としては、男性の服にはカラフルなものがない。黒とかグレーとかに偏りすぎている。仮にあっても高価だから、中々手に入りづらいという状況。 一方で、男性にも可愛いものを期待という欲望があるはずで、それを叶えるために、古着として安いものを提供するというアプローチ。

 

 そのことに対する個人的な是非はさておき、この考えは内田樹さんがかつて「困難な結婚」で語ったるんさんの過去の記載と真っ向から対立する。内田樹さんも若い時、女の子に女の子らしい服を与えるから、無意識に性差が埋め込まれると考えて、意識的にジーンズとか男の子っぽい服を与えていんだけど、るんさんはびっくりするほど見向きもしなかったらしい。ある日、「お父さんの趣味でああういう服を着せるのを辞めて」と言われてしまったと。
 
 つまり性差はある程度、先天的に埋め込まれている、というのが樹さんの結論だったと理解している。もちろん、るんさんがそうだからといって、全員がそうとうは言い切れないことは理解しているけど、企業としては大多数の趣味嗜好に合った経済活動がメインで、ニッチ層に合わせるためには相応の費用が必要なのは利益追求の団体としてはごく自然な気がする。

 

「現役官僚の渡英日記」(橘宏樹)<PLANETS>

 

「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」を想起させた本


 とても読んでて面白かった。ちょっと高かったけど、その価値はあった。ああ、官僚って、こういうふうに他国を見るのねという印象。留学日記とあるけど、日常生活に関する記載はそこまでない。

 

 個人的に凄いなと思ったのは、ディナー中に担当教授に対して著者が考えるイギリスの戦術論を話したくだり。ディスカッションの後、「楽しい時間だった、今度また2人で食事しよう」と言われるのだが、言語ハンデを背負って、そこまで言わせられるのは本当に凄い。素直に尊敬する。

 

 あと、参考になった箇所は、引用文献に関する考察。「引用とは演出戦略である」っていうのは慧眼だと思う。

 

以上